昭和館

特別企画展

昭和館開館25 周年記念 特別企画展
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕(つばめ)、そして新幹線へ~ 

開催趣旨

 昭和39年(1964)に「夢の超特急」として新幹線が登場する以前、「超特急」と呼ばれた人々が憧れる特急列車がありました。その特急列車「燕」は昭和5年10月、東京~神戸間を約9時間で結び、従来の同区間の所要時間を2時間以上も短縮させたことから、当時では画期的な特急列車として活躍しました。太平洋戦争により、特急列車は一時その姿を消しますが、戦後、特急列車「つばめ」と改称し、再び走り始めました。
 本企画展では、超特急「燕」が誕生した昭和初期から新幹線の登場までの軌跡を紹介します。

主催昭和館(厚生労働省委託事業)
後援千代田区・千代田区教育委員会
会期令和6年3月9日(土)~5月6日(月) 
会場昭和館3階 特別企画展会場
入場料無料
開館時間10時~17時30分(入館は17時まで)
休館日 毎週月曜日(4月29日・5月6日は開館)
チラシ「昭和を駆け抜けた超特急 ~燕(つばめ)、そして新幹線へ~」

展示構成

プロローグ:特別急行列車の黎明期

 明治39年(1906)、鉄道国有法の公布により全国の主要路線の大部分が国有化されたこの年、新橋~神戸間を結ぶ「最急行」と名付けられた長距離列車が誕生し、運行を開始しました。
 日本で最初に「特別急行列車」の名称がつけられたのは、明治45年に新橋~下関間を運行した「1・2列車」で、この列車は「最急行」の運行区間を延長したものでした。この区間延長により、下関港を経由した国際連絡列車としての役割も果たすことになりました。

旅客列車をけん引するC51形蒸気機関車・上野駅

 大正期から昭和40年頃まで活躍した蒸気機関車。大型旅客用機関車として特急列車やお召し列車をけん引した。

昭和3年(1928)から昭和7年
石川光陽撮影

西伯利経由欧亜連絡乗車船券

 東京からシベリア鉄道を経由してベルリンに至る2等乗車船券。有効期間は発行日から60日間で、東京から約2週間でベルリン、パリ、ロンドンに到達することができた。

昭和11年(1936)

Ⅰ.超特急「燕」の誕生

 昭和初期には国鉄、私鉄も含めた鉄道網が全国に広がる一方で、第一次世界大戦後から続く慢性的な不況が、鉄道経営にも大きな影響を及ぼしました。貨物や旅客の鉄道輸送が減少したため、鉄道省は観光旅行による国内外の旅客誘致と、利用者の多い大都市間をより速く結ぶ特急列車の開発に乗り出します。
 昭和4年(1929)に旅客誘致の政策として東京~下関間を結ぶ特急列車に愛称公募が行われ、「富士」・「櫻」が誕生しました。翌年、東京~神戸間をより速く結んだ特急列車には、スピード感のある「燕」と名付けられます。今日の日本の鉄道が求め続ける“スピードアップ”の先駆けとなった「燕」は、臨時列車も増発されるなど人気を集め、戦前の鉄道黄金期の象徴として活躍しました。

特急列車「燕」

 最後尾の車両に愛称のテールマークがつけられた。

戦前
鉄道博物館提供

「燕」特別急行券

 乗車券には愛称であるつばめのイラストのゴム印が押印された。

昭和11年(1936)10月

着物

「燕」が描かれた子ども用の着物。

昭和5年(1930)以降

超特急食堂みかどのメニュー

 営業時間の案内や、ビーフカツレツなど一品料理のほか、ビールなど酒類、カルピスなど飲み物のメニューが並んでいる。

昭和5年(1930)10月1日
鉄道博物館蔵

Ⅱ.戦時体制と鉄道

 昭和12年(1937)に日中戦争が始まると、鉄道運営も戦時体制へと移り、旅客輸送よりも軍事・物資輸送が優先されるようになります。一方で、国民精神総動員運動の一環として国策旅行が推進されると、旅行の目的は愛国心の涵養かんようや心身の鍛練に重きが置かれるようになりました。
 戦争が長期化したことにより人員・物資の輸送需要はますます高くなり、旅客鉄道利用が規制されていきます。ひっ迫する輸送を解決するため、鉄道省は東京~下関間に新たな幹線を敷設し、高速列車を走らせる計画を立てますが、戦局の悪化により中止を余儀なくされました。昭和18年になると旅客列車は大きく削減され、「燕」をはじめ豪華な設備を備えた特急列車は次々に廃止されました。

「決戦交通体制強化運動」

 戦時下の交通統制を徹底させるため、大政翼賛会や各鉄道会社が連携して強化運動を実施した。

昭和15年(1940)から昭和20年

高射砲の輸送・飯岡駅

 千葉県旭市の飯岡駅で高射砲を列車の荷台にくくりつけている兵士。

昭和18年(1943)3月

「ハイキング読本 強歩強兵」

 名古屋鉄道が発行したハイキングのパンフレット。心身の鍛練を目的とした徒歩旅行を推奨しており、愛知県や岐阜県などのハイキングコースを紹介している。

昭和17年(1942)

運転休止の列車などに関するお知らせ

 「燕」の大阪~神戸間の運行休止のほか、一等寝台車や食堂車の一部連結中止を知らせている。

昭和18年(1943)2月
鉄道博物館蔵

Ⅲ.復興-「夢の超特急」への道-

 戦災がもたらした線路・車両など鉄道施設への被害は甚大で、復旧させるための資材や運転用の石炭も不足するなか、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の接収により、人々の鉄道利用は終戦後もしばらく制限を余儀なくされます。
 政府は輸送力の復旧を図るため、優先的に鉄道事業へ石炭や鋼材などの資材確保を行いました。次第に輸送力も安定し本格的な復旧が進み始めると、昭和24年(1949)9月に戦後初の特急列車「へいわ」の運行が開始されました。翌年には公募により改称され、特急列車「つばめ」が復活すると、再び走り始めたその姿は戦後復興への明るい希望となりました。
 東海道本線の全線電化を経て、昭和33年に登場した初の電車特急「こだま」は、機関車がけん引する特急列車から電車へ移行する契機となり、東海道新幹線の実現に向けた布石となりました。

C62形蒸気機関車でけん引される
特急列車「つばめ」・山科~京都

 東海道本線が全線電化されるまでは、戦後に旅客用機関車として製造されたC62形蒸気機関車がけん引機として活躍した。

1950年代
鉄道博物館提供

特急「こだま」

 車体はクリーム色をベースに窓枠などを赤色に塗り分け、遠方からでも目に付きやすい塗色が選ばれた。高い位置に運転席が置かれ、ボンネットスタイルとして親しまれた。

昭和35年(1960)頃
京都鉄道博物館提供

東京駅に停車中の新幹線

昭和39年(1964)10月
太田畯三撮影

新幹線B特急券(東海道新幹線開業記念)

 開業日の昭和39年10月1日に、下りの1番列車「ひかり1号」の車内で配布された記念品。

昭和39年(1964)10月1日

(戦後)特急列車「つばめ」 ヘッドマーク・テールマーク を同時展示!!

特急列車「つばめ」ヘッドマーク(複製)

 戦前は最後尾の車両につけるテールマークのみであったが、昭和25 年の特急列車「つばめ」に初めて先頭部のヘッドマークがつけられ、「つばめ」はヘッドマークを使用した最初の特急列車となった。

京都鉄道博物館蔵

特急列車「つばめ」テールマーク

 戦後に復活した特急列車「つばめ」にも戦前のデザインを踏襲したテールマークが取り付けられた。

昭和25 年(1950)以降
京都鉄道博物館蔵

イベント情報

(1)0系ミニ新幹線がやってくる!

0系ミニ新幹線に乗って記念撮影をしてみよう!

日時令和6年3月24日(日)
時間10時~16時 ※開催時間中、1時間メンテナンスの予定あり
会場2階ひろば

0系ミニ新幹線(JR東海承認済)

(2)展示解説

担当者による展示解説を行います。

日時令和6年4月7日(日)、4月21日(日)
時間14時30分~(所要時間 約30分)
会場3階特別企画展会場

(3)ワークショップ

オリジナル列車のプラ板を作ってみよう!

日時令和6年3月16日(土)、3月30日(土)
時間13時~16時
会場3階会議室

ペーパークラフトでオリジナル列車を作ってみよう!

日時令和6年4月14日(日)、5月5日(日・祝)
時間13時~16時
会場3階会議室

お問い合わせ

〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-1 昭和館学芸部 
TEL.03-3222-2577

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