昭和館

特別企画展

時代をまとう女性たち

この展覧会は令和5年3月11日(土)~5月7日(日)に開催され、好評の内に終了しました。

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開催趣旨

 「ファッションは時代を映す鏡」という表現があるように、服装は時代の移り変わりと密接な関係にあります。昭和の激しい社会変化も例外なく、和装から洋装へ、家庭裁縫から既製服へ、特に女性の服装に大きな影響を与えました。

 日中戦争が始まると、政府による「国民精神総動員運動」と物資不足が原因で服装も統制の対象となりました。終戦後も深刻な物資不足が続き、女性たちはおしゃれを楽しむ余裕はありませんでした。しかし、戦後、占領期にもたらされた新たな文化や女性の地位向上、経済統制が解除されるにしたがって、女性たちは次第に機能的な服装を選ぶようになり、昭和30年頃を境に、都市部では和装と洋装の着用率が逆転します。

 本企画展では、昭和の世相とともに移り変わっていった女性の服装について紹介します。

主催昭和館(厚生労働省委託事業)
後援千代田区・千代田区教育委員会
会期令和5年3月11日(土)~5月7日(日)
会場昭和館3階 特別企画展会場
入場料無料
開館時間10時~13時30分(入館は13時まで)
14時~17時30分(入館は17時まで)
※13時30分~14時の間は館内清掃のため入館できません。
休館日毎週月曜日(5月1日は開館)
チラシ「時代をまとう女性たち」

展示構成

プロローグ:洋装文化の受容

 開国以来、洋装は上流階級の服装でした。大正期の職業婦人の登場や大正12年(1923)の関東大震災、昭和7年(1932)の白木屋デパートの火事などを契機に、女性の洋装の需要が高まります。この頃、家庭では和装、職場では洋装といった二重生活を送る女性も多くいました。
 また、大正末期から昭和初期にかけて、モダンガールと呼ばれる洋装を着用する若い女性たちが婦人雑誌で紹介されると、洋装に対する関心はいっそう高まっていきました。

銀座通りを歩くワンピースの女性と和服の女性

 おしゃれをして銀座を歩く女性たちの姿。洋装に身を包んだモダンガールや和装の女性など、女性の服装の和洋が混在している様子が見られる。

昭和10年(1935)
撮影:師岡宏次

「三越三月の御案内」

 三越の商品案内。洋装と和装の婦人服や小物が掲載されているが、洋装は外出時の衣類として紹介されている。

昭和10年(1935)

Ⅰ.戦時下の女性と服装

 日中戦争が勃発した昭和12年(1937)、国民の戦意高揚と戦争協力を図るため「国民精神総動員運動」が始まりました。さらに翌13年に公布された「国家総動員法」の施行により、日常生活にもあらゆる統制が及んでいきます。
 昭和15年に男性を対象とした国民服令の発布、昭和17年には女性に向けて婦人標準服が発表され、被服の合理化を図りました。しかし、国民服と違い、婦人標準服は浸透せず、女性たちの間では、手持ちの着物を仕立てなおしたもんぺが普及していきます。戦局の悪化とともに空襲が本格化すると、女性たちは昼夜問わずもんぺに身を包む生活を余儀なくされました。

振袖

時局にあわせて振袖の丈を短くして作られた振袖。

昭和20年(1945)

 この帯には金糸が使用されていたが、贅沢品とみなされ、金糸を取り除くことになった。

昭和13年(1938)から昭和20年

「出征兵士を見送る国防婦人会」

 東京での国防婦人会の奉仕活動。

昭和12年(1937)8月
日本写真家協会(JPS)提供
撮影:土門拳

上衣ともんぺ

和装を更生して作られたもんぺ。

戦中

Ⅱ.洋装文化の流入

 昭和20年(1945)の終戦を迎えてもなお、物資不足による生活苦が続きました。女性たちは農村に買い出しに出向き、手持ちの衣類と食糧を交換する「たけのこ生活」を送ります。物資不足解消のため、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は軍用品の放出や日本向けの支援物資の提供等の施策を行いました。
 一方で、洋装を着こなす進駐軍の将校夫人や女性兵士の姿は日本人女性たちにとって憧れの的となりました。この結果、軍服風のスーツや短いスカートが流行し、アメリカンスタイルを含めた洋装が隆盛していきます。

原稿

開業医をしていた女性が戦後に書いた原稿。戦中の着の身着のままの生活から解放され、おしゃれに対して希望が湧いてきた女性の気持ちを綴っている。

昭和21年(1946)

ワンピース

 山形在住の女性が東京で生地を買い求めて、本を見ながら自力で縫い上げたもの

昭和25年(1950)

『装苑』

 昭和11年に文化服装学院が主体となり出版された洋装専門誌。昭和19年2月に休刊したものの、昭和21年7月に復刊した。

昭和22年(1947)1月

オーバー

 ララ物資として贈られたアメリカ製の婦人用オーバー。ララ物資として提供される衣類は、上質なものが多かったが、同時に日本人の体格にはあわない大きいものも多かった。

昭和21年(1946)以降

Ⅲ.大衆化の時代へ

 占領期終盤になると、社会状況と連動するように、女性の服装にも大衆化の兆しが見え始めます。高度経済成長に伴い、女性たちの社会進出と地位向上が加速し、徐々に服装をおしゃれとして楽しむ余裕が出てきました。
 昭和27年(1952)のサンフランシスコ講和条約発効で日本が国際社会の復帰を果たすと、アメリカンスタイルからパリモードへと服装の志向が変化していきます。また、ナイロンやテトロン等の化学繊維の開発が進んだことにより、繊維業界と服装業界が相互的に発展していきました。

Hラインスーツ

 田中千代がデザインしたHラインスーツ。クリスチャン・ディオールがアルファベットラインとしてコレクションに発表したHラインを日本人にあうように田中千代が再構築したもの。

昭和29年(1954)
学校法人田中千代学園蔵
デザイン:田中千代

ワンピース・ドレス

 杉野芳子がデザインした夏の外出着。フレアスカートが濃淡の違う3色の青で接がれたデザインになっている。

昭和30年(1955)
杉野学園衣裳博物館蔵
デザイン:杉野芳子

ストッキング

国産絹製のストッキングが主流だったが、耐久性に問題があった。昭和27年以降にナイロン製のストッキングが発売されると、安価で丈夫だったので、主流になった。

戦後

こけし

皇太子殿下(現・上皇陛下)と美智子妃ご成婚をモチーフとした雛人形。着せ替え人形などの商品展開や雑誌で特集を組まれるなど、服装が大いに話題になり、模倣する女性が多かった。

戦後

イベント情報

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、変更または中止となる場合があります。

(1)展示解説

終了しました。

担当者による展示解説を行います。

期日令和5年4月2日(日)、4月23日(日)
時間14時30分~(所要時間 約30分)
場所3階特別企画展会場

(2)ワークショップ

終了しました。

①巾着を作ろう!
ステンシルシートと布用の絵の具を使ってオリジナルデザインの巾着を作成します。

期日令和5年3月26日(日)
時間14時~17時  場所:3階会議室
定員50名 ※予約不要
①巾着を作ろう!

終了しました。

②着せ替え紙人形を作ろう!
昭和のファッションを着せ替えできる紙人形を作成します。

期日令和5年4月29日(土)
時間14時~17時
場所3階会議室 ※予約不要
②着せ替え紙人形を作ろう!

お問い合わせ

〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-1 昭和館学芸部 髙橋・吉葉
TEL.03-3222-2577

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