これまでの特別企画展

Past Special Exhibitions

知ってるかな? 戦中のくらし ~子どもたちの一日~

この特別企画展は平成25年7月27日(土)~9月1日(日)に開催され、好評の内に終了しました。

開催主旨


昭和12年(1937)7月に始まった日中戦争によって、人々のくらしに制限が加えられるようになりました。さらに16年12月には太平洋戦争が始まり、戦争に勝つことを第一の目的とした生活に切り替えられて  いきました。子どもたちのくらしも例外ではなく、戦争を中心としたものに変わりました。
16年4月から尋常小学校は国民学校に変わり、子どもたちは、新しい教育制度の下で世の中のことを学ぶようになります。戦争の下で日々のくらしが営まれますが、17年の本土初空襲、19年の学童疎開と 子どもたちのくらしは戦争の影響を大きく受けていきます。そして戦争の終結とともに、子どもたちのくらしは一変してしまいました。
本展示では、当館が所蔵する16年から20年までの日記を中心にして、戦中のある一日を再現し、それにまつわる実物、写真、図解、映像などを交えながら、子どもたちが過ごした戦中のくらしを紹介します。
戦中の家庭での生活、学校での生活、遊びなどはどのようなものだったのでしょうか。子どもたちはどのようなことを感じ、考えていたのでしょうか。
戦争を知らない世代の方々、子どもたちに戦中の子どもたちの生活を知っていただくとともに、終戦を迎えた時の子どもたちの思いについてもふれ、戦争に翻弄された子どもたちの姿を紹介します。

【主催】

昭和館

【会期】

平成25年7月27日(土)~9月1日(日)

【会場】

昭和館3階 特別企画展会場

【入場料】

特別企画展は無料(常設展示室は有料)

展示構成


1.一日のはじまり

大正から昭和に移り変わった頃は、関東大震災や世界恐慌等の影響を受け、決して裕福な時代ではありませんでしたが、人々は質素ながらも平和な日々を送っていました。
しかし、昭和16年(1941)12月に太平洋戦争が始まると人々の生活は戦争を中心としたものに変わりました。子どもたちも、例外ではなく、その意思とは無関係に戦時体制に組み入れられました。そのような時代の中で、子どもたちは懸命に学び、遊び、生活を送っていました。そんな一日がはじまります。



おめでとうございます。今年は特にいろいろなものを節約しなくてはならないので、門松もうちの庭の松を切って立てました。
「さあ二年目も勝ちぬくぞ」

日記(東京女子高等師範学校附属国民学校
(現・お茶ノ水女子大附属小学校)四年)
西川幸江
昭和十八年(一九四三)一月一日



起床五時半
朝起きた。きょうは大詔奉戴日なので「国旗」を出す。

日記(東京市神宮前国民学校
(現・渋谷区立神宮前小学校)六年)
本間雄二郎
昭和十八年(一九四三)六月八日



ノート(雑記帳)

昭和19年(1944)



「ヨイコドモ上」
(国民学校初等科1年 修身の教科書)

昭和16年(1941)


<年代展示1> 昭和16年12月8日~太平洋戦争の開戦
当時の子ども新聞や日記からトピックを紹介します。

ll.ぼくたち、わたしたちの国民学校~少国民として

昭和16年(1941)4月1日より、それまでの尋常小学校が国民学校という名前に変わり、初等科6年と高等科2年となり、義務教育期間が6年から8年に延長されました。
子どもたちは少国民と呼ばれ、心身をしっかり鍛え、より強い日本の国をつくる人間になるための教育が施されました。新しい国定教科書による厳しい教育が行われ、木銃による軍事教練(女子はなぎなた訓練・救護訓練・看護訓練)なども行われました。
この国民学校は、22年4月、6・3制の新学制が実施され、小学校となるまで続きました。



今日は大詔奉たい日である。
七時半に登校して、式をおこなった。

日記(国民学校四年)
西川幸江
昭和17年(1942)7月8日



奉安殿の前に列する児童たち・豊島区高田国民学校

戦中
豊島区立郷土資料館提供



学童服・運動靴
小学生(国民学校生)は制服のない学校でも学童服で通学することが多かった。


<年代展示2> 昭和17年4月18日~初めての東京空襲
当時の子ども新聞や日記からトピック紹介します。

lll.帰宅してから

国民は一致団結して戦争にのぞむために、近所の10軒前後の世帯を一組として隣組を結成し、月に一度常会という集まりを開いて、国から出されるさまざまな方針を伝えたり、話し合ったり、また、防空訓練等を行っていました。子どもたちもこのような活動に参加したり、また、双六やカルタ、子ども向け雑誌等といった遊びの中にも戦時色が色濃く反映し、戦意高揚に利用されていました。


日記(国民学校5年)

中野区の防空訓練でした。朝六時に訓練空襲が発令されて、又十時に発令になりました。私はもんぺに毛糸の上衣をきて、ゴム靴をはき、頭に頭布をかぶり、肩から水筒と救急袋をさげました。

日記(国民学校5年)
西川幸江
昭和18年(1943)11月23日



コドモ隣組ゲーム
空襲による火災をバケツリレーで消すことを模したゲーム。



神田神保町の少年隣組の防火運動

昭和16年(1941)3月
毎日新聞社提供


<年代展示3> 昭和19年8月4日~東京都の学童疎開の開始
当時の子ども新聞や日記から紹介します。

lV.エピローグ

昭和19年(1944)になると空襲はますます激しさを増し、20年になると空襲に明け暮れる毎日になりました。都心の子どもたちの多くは、学童疎開で地方へ移動したため、国民学校に通う生徒も少なくなり、また残された子どもたちも日記を書く余裕などなかったのではないでしょうか。その頃の日記は少なくなります。
20年8月15日に戦争がおわり、再開された学校の授業は、それまで使っていた教科書を切ったり、墨をぬったりする作業からはじまりました。戦争をするためのそなえなどを強調したり、戦争にむけた気持ちを高めたりする記述などは、間違っているとされたためです。これまで正しいことだと教えられていたことが、全て崩れ去っていったのです。

今朝宮地先生の情報で、日本が米英ソニたいして、無条件降伏をした事がはっきりと分った。天皇陛下は「敵アメリカが、使う原子爆弾のために可愛い赤子をこれ以上、ころす事は出来ない。」とおっしゃて、各大臣達が、天皇の身の上の事を、ご心配申すと、「わが身はいかになろうとも良い。」とおっしゃって、平和をねがったそうだ。私達は、このかたじけなさにしぜんと頭がさがり、赤子をお思い下さる、やさしい御心に、声を上げ、ハンカチに、顔を押しあてて、泣いた。そして、これから科学を、すすめ、天皇にかならず御おんを返そうと心に思った。 反省無条件降伏をしたので、さわいだ。

日記(東京女子高等師範学校附属国民学校 (現・お茶の水女子大学附属小学校)6年生) 小川陽子 昭和20年8月16日

墨塗り教科書 昭和20年(1945)から21年にかけて使用された「墨塗り教科書」。終戦後に使われたこれらの教科書は、戦中の教科書中の軍国主義的だったり民主主義に反するような内容の部分を墨で塗ったり、切り取ったりしたもの。

墨塗り教科書

昭和20年(1945)年 朝日新聞社提供

<年代展示4> 昭和20年8月15日~終戦 当時の子ども新聞や日記からトピックを紹介します。

イベント

(1)戦中・戦後の体験を語り伝える会

今回の特別企画展のテーマに沿った戦中・戦後の体験談を話者にそれぞれお話しいただきます。

日時

8月11日(日) 14:00~16:00

会場

1階ニュース・シアター (座席数:60席。当日13:00より1階ロビーにて整理券を配布します。)

(2)アニメ上映会(1日2回(午前・午後)上映。)

日時

8月24日(土) 午前の部-10:30~、午後の部-14:00~

会場

1階ニュースシアター(座席数:60席。)

上映作品

午前「対馬丸~さようなら沖縄」1982年制作 75分 午後「チョッちゃん物語」1996年制作 80分 午前「対馬丸~さようなら沖縄」1982年制作 75分 午後「チョッちゃん物語」1996年制作 80分

(3)クイズラリー

日時

8月24日(土) 10:00~17:00

クイズ設置場所

常設展示室、映像音響室、図書室、特別企画展会場、1階 全問に正解したら、景品をプレゼントする。

(4)展示解説

日時

8月3日(土) 14:00から45分程度

会場

3階特別企画展会場

(5)夏休み3館めぐりスタンプラリー

開催期間

7月20日(土)~9月1日(日) 昭和館・しょうけい館・平和祈念展示資料館における合同企画

〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-1 昭和館学芸部 TEL.03-3222-2577
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