特別企画展

Special Exhibitions

お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~

この展覧会は令和4年7月16日(土)~9月4日(日)に開催され、好評の内に終了しました。


開催主旨

 お菓子は子どもたちにとって日常の中の大きな存在、嗜好品としてささやかな幸せをもたらしてくれるものです。日本を代表とする製菓会社である森永製菓の創業者・森永太一郎は子供たちに幸福と希望を与えるエンゼルをシンボルマークとしました。また、他の創始者たちも、お菓子と子どもたちとの関係性について次のように述べています。

  「子供はいつも、オヤツとオモチャの世界にすんでいる」 (江崎利一 江崎グリコ株式会社)

  「子供からお菓子を取り去ることは不可能」 (有嶋建助 明治製菓株式会社)

 昭和の時代でも現代においても誰の思い出の中にも、お菓子の記憶は存在していることでしょう。
 本企画展では、戦前から戦中・戦後のめまぐるしく変化する昭和の時代において、お菓子とその一番のパートナーである子どもたちがどのような道筋を辿ったのかを紹介します。

【主  催】

昭和館(厚生労働省委託事業)

【後  援】

千代田区、千代田区教育委員会

【会  期】

令和4年7月16日(土)~9月4日(日)

【会  場】

昭和館3階 特別企画展会場

【入 場 料】

無料

【開館時間】

10時~13時30分(入館は13時まで)
14時~17時30分(入館は17時まで)
※13時30分~14時の間は館内清掃のため入館できません。

【休 館 日】

毎週月曜日(7月18日、8月15日は開館、7月19日は休館)

【チ ラ シ】

「お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~」チラシ  (PDF:793.89 KB)

展示構成


プロローグ

 明治以降、文明開化を迎え西洋文化が日本に入ってくると、西洋菓子の製造方法が伝わるとともに輸入も増加しました。明治32年(1899)、「森永西洋菓子製造所(現・森永製菓株式会社)」が登場すると、アメリカの製菓技術を用いて国内での西洋菓子製造に取り組みます。これにより依然として和菓子中心であった製菓業は大きな転換期を迎えます。
 大正3年(1914)に森永製菓が売り出した紙サック入りのミルクキャラメルが好評を博すと、それに刺激を受けて製菓会社の設立が相次ぎました。西洋菓子の普及は、見た目の華やかさと濃厚な味わい、香りもあり、子どもたちに喜びを与えていきます。


明治ミルクキヤラメル
 パッケージに描かれた少年は当時大流行していた「正チャン帽」を被っている。明治製菓はこの後、チョコレートやクリーム、レモンなど様々な味のキャラメルを販売した。


昭和4年(1929)発売



おやつ向きの和洋菓子の作方
 『主婦之友』の付録のレシピカード。カード裏面に書かれたレシピは『主婦之友』に寄稿をしていた料理研究家や、製菓学校が監修をしたもの。

『主婦之友』八月号付録
昭和9年(1934)



Ⅰ.戦争とお菓子

 昭和12年(1937)に日中戦争が勃発し、国内が戦時体制へ向かっていくと、製菓業にも少しずつその影響が広がっていきます。昭和13年に「国家総動員法」が公布され物資の統制が始まると、原材料が手に入らないことから菓子は貴重なものになりました。
 昭和16年、配給切符が菓子類にも導入され、子どもたちの生活にも変化が表れます。日常的に口にしていた菓子は日に日に姿を消していき、昭和19年には家庭用砂糖の配給停止に加え、学童疎開が大々的に進められ、子どもたちは甘味に乏しい生活を送ることになります。


「森永ミルクキヤラメル」
 日中戦争中の広告ポスター。兵隊ごっこをする少年の絵柄は、それまでの広告と様変わりして戦時色が濃く出ている。


画︓平岡権八郎
昭和14年(1939)



戦線で喜ばれる献納慰問袋
 慰問袋の中身について、推奨する品を細かく記したもの。「ポケットに入るかさばらない食料品」としてドロップ、キャラメル、グリコ(キャラメル)が挙げられている。


昭和14年(1939)10月



小供菓子購入票
 昭和16年より菓子も配給品となった。キャラメルやビスケットなどの菓子類が購入できるのは乳幼児、児童、病人など限られた人々だけであった。

昭和17年(1942)



疎開児童の手紙・御賜の袋
 香淳皇后(昭和天皇皇后)により、全国の疎開児童に下賜されたビスケットと「御歌」について記している。手紙にはビスケットの入っていた御賜の袋が同封されている。

昭和19年(1944)12月23日頃



Ⅱ.終戦を迎えて

 終戦を迎えたものの、食糧事情は戦時中よりも悪化していました。配給制度は戦後も続いており、依然として菓子は生活の中で貴重な存在のため、子どもたちは甘いものへの憧れを大きく募らせていきます。
 昭和25年(1950)に菓子類価格統制が解除され、昭和27年には砂糖と小麦粉の配給統制が撤廃されたことで、製菓業も徐々に復活の様子を見せます。自由販売が可能になって以降は製菓会社間での販売競争が始まり、新しい技術や材料を投入した商品が登場します。


隣組の知らせ
 児童用菓子の配給を知らせている。配給されるチョコレートは軍用品の払い下げのため、注意書きが記載されている。


昭和21年(1946)1月22日



「お菓子と食料品」
 戦後、アメリカの豊かさへの憧れや、小麦粉が多量に輸入されたことで食生活は欧米化した。レシピ本にも西洋菓子が多く登場している。

昭和24年(1949)8月



森永ミルクチョコレート
 製造元の鶴見工場が昭和20年4月15日の空襲によって焼失する。昭和26年1月、焼け残った機器を兵庫県の塚口工場内に運び出し、製造が再開された。

昭和26年(1951)9月発売



紅梅キャラメル
 東京読売巨人軍と契約した紅梅製菓はキャラメルに選手のおまけカードを付録し、これを集めて送ると野球関連の景品をプレゼントすることで大人気となった。

昭和26年(1951)頃


イベント情報

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、変更または中止となる場合があります。

(1)展示解説 終了しました

期日:令和4年7月24日 (日)、8月21日(日)
時間:14:30~(所要時間 約20分)
場所:3階特別企画展会場

(2)昭和館子ども縁日 終了しました

期日:令和4年8月6日(土)
時間:11時00分~13時30分
種目:型抜き、くじ引き
場所:3階会議室


担当:昭和館学芸部 髙木
TEL.03-3222-2577
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