特別企画展

Special Exhibitions

ポスターのちから ~変化する役割と広がるデザイン~


開催主旨

 広告・告知・宣伝を目的として制作されたポスターが昭和館には約3,500点所蔵されています。その制作意図はさまざまで、商業広告、国策宣伝、公共広告などあらゆる場面でポスターが登場し、国民生活に浸透していたことが垣間見られます。
 本企画展では、昭和館ポスターコレクションの中から、デザインの変遷に着目して作品を厳選し、昭和期におけるポスター制作と作り手であるデザイナーたちの活躍を紹介します。

【主催】

昭和館(厚生労働省委託事業)

【後援】

千代田区・千代田区教育委員会

【会期】

令和3年7月17日(土)~9月5日(日) 
・前期:7月17日(土)~8月15日(日)
・後期:8月17日(火)~9月5日(日)
 (開催期間を前期と後期に分け、8月16日(月)に展示資料の一部入れ替えを行います。)

【会場】

昭和館3階 特別企画展会場

【入場料】

無料

【開館時間】

10時~13時30分(入館は13時まで)
14時~17時30分(入館は17時まで)

【休館日】

毎週月曜日(8月9日は開館、8月10日は休館)

【チラシ】

「ポスターのちから ~変化する役割と広がるデザイン~」チラシ  (PDF:748.89 KB)

展示構成


Ⅰ.「図案家」の確立とポスター

 印刷技術が大きく発展した大正期には、ポスターによる商品広告が日本国内に浸透していきます。この頃は美人画を用いたポスターが主流でしたが、昭和期に入ると写真や図案、コピーライティングに工夫を凝らしたポスターが制作されるようになりました。
 ポスター制作を担う専門職として図案家(デザイナー)が確立し、広告物を制作するための美術として「商業美術」という分野が確立しました。

(1)美人画ポスターから「図案」へ
(2)ポスターの多様性


「ヒゲタ醤油」
歌舞伎の演目「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」に登場する半七女房おそのが描かれたポスター。大正9年(1920)に撮影された6代目尾上梅幸のブロマイドと同じ構図である。

昭和元~10年(1926~35) 銚子醤油株式会社
デザイン:多田北烏
(前期展示)


「みのり」
新発売の煙草パッケージを背景に、煙草を吸う人と火を渡す人のシルエットが描かれたモダンなデザイン。杉浦非水は三越で長く活躍し、退職後は専売局のデザインを担当したデザイナーの先駆け的人物であった。

昭和5年(1930) 専売局
デザイン:杉浦非水
(通期展示)


Ⅱ.戦争と国策ポスター

 昭和12年(1937)に日中戦争が勃発すると、国民の戦意高揚を促すための宣伝活動(プロパガンダ)が重要視され、国内外に対する本格的な宣伝活動がはじまりました。
 戦時体制の強化がすすむにつれ街中には戦意高揚や戦費調達、統制生活を促す国策ポスターが溢れるようになりました。
 それに伴い、デザイナーたちの活動の場も国策宣伝へと移り、公的機関などの依頼を受けて国策ポスターやグラフ雑誌を制作しました。

(1)国策宣伝の進化
(2)戦時体制の強化と国策ポスター


「想ひ起す二十五年前」
第25回陸軍記念日ポスター。日露戦争で奉天会戦に勝利した3月10日は陸軍記念日として定められ、昭和4年から昭和19年まで毎年ポスターが制作された。

昭和5年(1930)
画:今村嘉吉
(通期展示)



「心も武装せよ」
戦時国民防諜強化運動の実施に際して制作されたポスター。この運動では敵国によるスパイ活動からの機密保護が啓発された。旗を下から見上げる構図が印象的である。

昭和17年(1942)内閣情報局
デザイン:岸信男
(通期展示)


「ヒマを作らう」
ヒマ(トウゴマ)の増産を呼びかけたポスター。ヒマの種子から抽出されるヒマシ油は、飛行機用エンジンの潤滑油として利用された。このポスターは国策宣伝のための技術者集団、報道技術研究会によって制作された。

昭和19年(1944)頃 大政翼賛会
(後期展示)


「健康にお茶」
お茶の広告ポスター。戦う兵士の姿が描かれており、戦地の兵士に送る慰問袋にお茶をお見舞い品として入れることが推奨されている。戦中には、一見して何の商品を宣伝しているかが分からないようなポスターが多数制作された。

戦中 静岡県茶業組合聯合会議所
(前期展示)


Ⅲ.戦後復興期のポスター

 終戦を迎えると、戦中にポスターが国策宣伝の道具となった反省をふまえ、その社会的役割が見直されました。戦争による心の傷を負いながら、戦災復興を援助するために、デザイナーたちは一転して公共広告の制作に従事していきます。
 経済復興の兆しが見え、昭和22年以降、徐々に経済統制が撤廃されると、商品や映画などの娯楽の広告として、商業ポスターが復活し、戦後の消費社会を支えました。

(1)戦後復興と公共広告
(2)商業ポスターの復活


「着替ヘモナイ引揚者ニ衣類ヲ、」
終戦直後に掲示された引揚者への衣類提供を呼びかけるポスター。600万人を超える引揚者は着の身着のまま日本へ帰国することとなり、国内ではさまざまな救護活動が行われた。

昭和20年(1945)  恩賜財団戦災援護会
デザイン:山名文夫
(通期展示)


「赤十字愛の献血運動」
厚生省(現・厚生労働省)と日本赤十字社の共催による献血運動啓蒙ポスター。昭和30年頃に民間での売血の流行が献血者の激減を及ぼした為、「血液事業への理解と献血者確保」を目的とする運動が展開された。

昭和38年(1963) 日本赤十字社
デザイン:髙橋春人
(通期展示)


「キッコーマンソース」
昭和25年(1950)にしょうゆの統制が解除されると、キッコーマンからマスコットキャラクター「野田キッコ」が登場した。大橋正がデザインした「キッコちゃん」は戦後長きに渡り親しまれた。

昭和20年代後半 野田醤油株式会社
デザイン:大橋正
(通期展示)


「マジツク洗濯器」
「かもめ印マジック洗濯機」の宣伝ポスター。昭和31年(1956)に発売され、タンクに洗剤やお湯を投入し手動で交ぜて使用した。当時の電気式洗濯機は多くの国民には高嶺の花であり、廉価化し国民に普及するまでの短期間に活躍した。

昭和30年代前半 かもめ洗濯器株式会社
(通期展示)


エピローグ オリンピック東京大会・東京パラリンピック

 デザイン活動が活発化するなか、ハイライトとなったのは昭和39年(1964)に開催されたオリンピック東京大会と東京パラリンピックでした。両大会の開催に際して、亀倉雄策と髙橋春人によって制作された公式ポスターは国内外から高い評価を受け、戦後復興を象徴する作品となりました。

昭和39年(1964)のオリンピック東京大会公式ポスター4種と東京パラリンピック公式ポスター2種を一挙に展示!


「TOKYO 1964」
オリンピック東京大会公式ポスター第2号。立川米軍基地の元陸上選手や日本の陸上選手をモデルに冬の国立競技場で撮影され、スタートダッシュの瞬間の躍動感が捉えられた。日本初のB1サイズの多色グラビア印刷が試みられ、歴代のオリンピックポスターで初めて写真が用いられた。

昭和37年(1962)5月
デザイン:亀倉雄策
撮影:早崎治、フォトディレクション:村越襄
(通期展示)


「PARALYMPIC TOKYO 1964」※初公開資料
パラリンピックの海外用公式ポスター。昭和37年5月に準備委員会が結成され、資金獲得のための広報用として大会開催の2年前に制作された。
右上に描かれているのは髙橋春人デザインによる初期の大会マークで、以降決定まで二回の変更がなされた。

昭和37年(1962)
デザイン:髙橋春人
(通期展示)


担当:昭和館学芸部 張・髙木
TEL.03-3222-2577
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