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【こんな資料があります! 昭和100年 全国ご当地資料紹介】

昭和館 映像・音響室では、4月29日から5月6日までのゴールデンウィーク期間中、隔日でおすすめの資料を紹介します。令和8年(2026)は、昭和元年(1926)から起算して満100年にあたることを記念し、所蔵する写真・映像・音響(SPレコード)の各資料から、全国各地その土地ならではの「昭和」の資料を選出しました。

本日は群馬県にまつわる資料をご紹介します。

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この写真は、昭和18年(1943)1月に開催された、第13回明治神宮国民錬成大会冬季大会でのアイスホッケーの試合です。群馬県の榛名湖で行われました。凍った湖の上、山を背景にした自然の中で競技しています。

明治神宮国民錬成大会は、大正13年(1924)に明治神宮競技大会として始まりました。「明治大帝の御聖徳を憬仰する(明治天皇の立派な功績を心から慕い敬う)」ため、またオリンピックを参考に近代スポーツを通して国民の体力向上、士気の高揚を目的に毎年(昭和2~12年までは隔年)開催されていきます。日本全国のみならず、朝鮮や満洲からも選手が集い、最多の時には30種目の競技を学生、軍人、アマチュア選手たちが府県対抗で競い合いました。

第13回大会(昭和17年度)は夏季大会6,221人、秋季大会11,000人(冬季大会の記載なし)が参加しましたが、戦火拡大により第13回大会をもって幕を下ろしました。

榛名湖が、氷上競技の大会会場となったのはこれが初めてのことで、周囲約5キロという広さの会場を使用することも初めてでした。その広さを活かすため、また戦時下における錬成的種目として、2,500メートル走路を作り、15,000メートルを5キロの重量を背負って1チーム5人で滑走する団体耐久競争が新種目として加えられました。

大会開催を受け入れた群馬県、榛名湖と隣接する伊香保町(現・渋川市)は一年前から準備し、役員、選手を伊香保温泉に宿泊させ、地元の隣組と渋川中学校生徒などは除雪に当たるなど町全体で大会を支えました。

日本におけるアイスホッケーは、大正4年(1915)に市民スポーツの父と呼ばれた平沼亮三がアイスホッケー用具を輸入し、諏訪湖スケート会へ寄贈、同会のメンバーらが諏訪湖にてプレーしたことに始まります。大正末期に大学のチームで試合が行われるようになると企業でもアイスホッケーのチームが作られ、昭和にかけて競技人口が増えていきました。

明治神宮大会の種目にアイスホッケーが加えられたのは昭和8年度(1933)開催の第7回大会からで、昭和9年1月に東京の芝浦で試合が行われました。第13回大会には中等学校と大学のチームが参加して技を競いましたが、日本スケート連盟の理事長は「戦時のための練習不足か各チームともまことに低調」と評されています。

昭和館5階の映像・音響室、昭和館デジタルアーカイブでは、第13回明治神宮国民錬成大会冬季大会のスキー競技やスケート競技の写真も閲覧できます。ぜひ検索してみてください。

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