平和な暮らしとは
文京区窪町小学校6年 保戸塚 理緒
「え、日本でこんなことがあったんだ。」
これは昭和館で戦争について学習した時に思ったことです。
戦中の食べ物は配給制で、食事はすいとん、ごはん、そしてたんぱく質を取るために虫なども食べていたそうです。私がこの時代に生きていても、虫を食べるのはちゅうちょしてしまいます。
また、戦中の日本人はいつふってくるかわからない焼いだんにおびえながら生活をしていたのでしょう。電気が外に見えないようにカーテンをしまたり、夜に空しゅうが起こることも考えて、防空ごうにすぐ行けるように、まくらもとに大切な物と食料をおいて、服をきたままねていたりしていたと聞き、そう思いました。
そして、私は家族とはなれての疎開は大変でさびしかっただろうと思いました。私なら疎開先での家族のいないさびしい暮らしにたえきれないと思いました。
戦争が終わってからも、疎開していた子供たちが都会にもどってきた時には家はなく、両親も亡くなった、「戦争孤児」が多くいたようです。食べ物も十分になく、大きな駅の構内などでねて、わずかなお金を集めていた子供たちは、すごく心細かったと思います。大変だった疎開から帰ったら両親に会えると思っていたのに、帰ってきても、行く前と景色はちがい、両親はいないなんてかわいそうだと思いました。
このようなことを調べて、今、安全だと思っていた日本にも、昔は戦争があり、たくさんの死者が出たことを知りました。昔のことではありますが、びっくりしました。
また、「あなたにとっての平和な暮らしとは何ですか。」という質問の答えも探しました。
私は昭和館で調べ、平和な暮らしとは家族がそろい、食べ物や住む所に困らないことだと思いました。家族に会えないさびしい暮らし、少ないたべ物、安心してねることのできない暮らしはつらすぎると思ったからです。
でも、そもそも私だけが平和な暮らしなんてありえるのでしょうか。
私はありえないと思います。
なぜなら、みんなが何かをするには、だれかが関わっていて、だれかが「平和」になるためには、その人に関わっている人も平和」でなければならないと思ったからです。一人だけが「平和」に暮らすなんてできないと、私は気付きました。
私は昭和館で戦争について学び、「平和」について考えました。そして、今の私の思う「平和」とは、みんなが「平和」であることです。自分の家族や友達だけでなく、みんなが「平和」ということが、私の平和な暮らしには必要だと思いました。