昭和館

特別企画展

SHOWAの原風景 —石川光陽が撮った昭和の町並み・空襲・世相—

開催主旨

 このたび昭和館では、「SHOWAの原風景—石川光陽が撮った昭和の町並み・空襲・世相—」と題して写真展を開催する運びとなりました。
 戦前から戦後の東京を撮り続けたカメラマンとして石川光陽の名をあげることができます。彼は昭和2年(1927)に警視庁に入庁、以来昭和38年(1963)に退職するまでの36年間、警視庁のカメラマンとして活躍しました。警察官であった光陽は、戦中に警視総監の命により空襲時や空襲直後の被災状況を間近で撮っており、臨場感あふれるその写真は、激動の昭和を振り返るに欠かせないものとなっています。
 昭和館では石川光陽が撮影した写真を数多く収蔵しており、平成16年4月から5月にかけて開催した企画展「石川光陽展—昭和を撮り続けたカメラマンの記録—」において、その写真の一部を展示しました。その後も写真の整理を進め、今回、更に多くの写真を初めて公開できるようになりました。
 この特別写真展では、空襲の被災状況だけでなく、これまであまり取り上げられることがなかった戦前から戦後にかけての東京の町並みや人びとの生活、その時々に彼が直面した出来事や著名な人たちとの出会いなどにも目を向けています。また、光陽が故郷福井市で撮影した空襲直後の町の様子も取り上げます。戦前から戦中、戦後の混乱期から復興へと移り変わりゆく町の様子・生活を紹介しつつ、昭和という時代を振り返ります。

主催昭和館
会期平成20年4月26日(土)~5月11日(日)
会場昭和館3階 特別企画展会場
入場料無料(常設展示室は有料)
開館時間10:00~17:30(入館は17:00まで)
休館日特別写真展開催中は毎日開館

展示構成

1.町並み風景

 石川光陽は東京各地の風景を数多く撮影しています。空襲で失われた町並み、戦後再建されつつある町の風景を紹介していきます。下宿街やデパート・商店街、様相が変わっても現存する銀座の資生堂パーラーなど、昭和の東京へタイムトリップします。

モダニズムの象徴 資生堂パーラー
(昭和9年7月)中央区銀座

白木屋前、交差点
(昭和12年)墨田区錦糸町

大福早食い無料看板に集まる人たち
(昭和21年)台東区浅草

2.空襲

 石川光陽といえば、空襲カメラマンと言われるほど、空襲あるいは空襲直後の写真が有名です。ここでは、昭和17年4月18日に日本がはじめて空襲をうけた際の被害の様子をはじめ、昭和20年3月10日の東京大空襲での被災状況、終戦間近に見た福井空襲直後の様子を撮影した写真を見ます。

ドゥーリットル空襲による被害
(昭和17年4月18日)荒川区尾久

住む所を失い、避難する人たち
(昭和20年3月10日)台東区浅草

空襲をうけた福井市街地
(昭和20年7月20日)福井市大名町交差点付近

3.世相・トピックス

 石川光陽は、直面したさまざまな出来事や事件、さらに海外からの来賓客の様子なども多数撮影しています。激動の昭和を象徴する2・26事件をはじめ、戦前のメーデーやガガーリンの来日、昭和のシンデレラ美智子妃殿下と皇太子のご成婚パレードなどの写真を紹介します。

第16回メーデーに参加する人たち
(昭和10年5月1日)東京都内

2・26事件
(昭和11年2月27日)千代田区桜田門 警視庁裏庭
陸軍の青年将校21人が国家改造を図ろうと、下士官・兵1400人を指揮していっせいに政府首脳や重臣を襲撃・殺傷し、都内各地を占拠した事件。光陽は5階の写真室から秘かにシャッターを押した。

来日した宇宙飛行士ガガーリン
(昭和37年5月)羽田空港(大田区)

4.映像と展示

(1)『帝都空襲誌』(石川光陽が空襲を撮影した際の日記)を展示

(2)映像(10~15分)

1.石川光陽の略歴を紹介
2.石川令子さんが語る父光陽
3.企画展「石川光陽展—昭和を撮り続けたカメラマンの 記録—」で使用した写真、今回展示できなかった写真の一部を紹介

愛用のライカを手にシャッターを切る石川光陽
(昭和20年頃)東京都

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