昭和館

特別企画展

SPレコードでたどる戦中・戦後 -流行歌と童謡を中心として-

昭和館・第6回特別企画展のご案内

会期昭和館3階 特別企画展会場
会場平成13年5月2日(水)から5月28日(月)
主催昭和館
入場料入場無料(ただし常設展示は有料)
開館時間会期中の休館日は5月7・14・21日 

イベントのご案内

子供の日イベント(参加費無料)

5月3日(木)・4日(金)・5日(土)
(1) 遊び体験コーナー(けん玉、あやとり、糸電話等)
(2)「遊びの教室」コーナー(絵かき歌教室、折り紙教室)
(3) 紙芝居実演

音楽会(入場無料)

5月6日(日)14:00~15:30
会場:九段会館ホール
大宮童謡唱歌の会による合唱、元ビクター童謡歌手・平山美代子氏の講演、SPレコードの鑑賞

5月3日(木)・4日(金)・5日(土)に開催した「子供の日イベント」の様子です。
紙芝居上演の後には、引き続き絵かき歌教室と折り紙教室が交互に開催され、お子さんにもご参加いただきました。

5月6日(日)に開催した音楽会では、大宮童謡合唱の会による懐かしい戦中・戦後の童謡や歌謡曲の合唱をお楽しみいただきました。

平山美代子氏による講演会では、平山氏自身が童謡歌手としてデビューするまでの経緯などを様々なエピソードをまじえお話いただきました。

(1)前史(明治~昭和初期)

1. 日本のレコード産業のあゆみ
 輸入品であった円筒式レコード(フォノグラフ)、初期の片面盤レコード、明治40年代から国産されるようになった当時のレコードなどを展示します。
2.「童謡」の発祥と作り手たち
 大正7年に鈴木三重吉の手で創刊された児童文芸雑誌『赤い鳥』を出発点に、それまでの「唱歌」の堅苦しさからの脱皮をめざし、童謡運動が起こりました。初期の「童謡」レコードや代表曲に関連した資料で構成します。
3. 流行歌の広がり
 ヒット盤の出現には、映画やラジオの普及が大きな役割を果たしました。ここでは映画とタイアップした「映画小唄」や「映画主題歌」に関連したレコードなどを展示します。

●片面盤のレコード
 明治36年、アメリカから機材を持ち込んで出張録音を行ったもので、
アメリカでプレスされ再び日本に持ってこられた。

●『東京行進曲』歌詞カード
 昭和4年、日活映画『東京行進曲』の封切りと同時にレコードも発売された。

(2)戦前(昭和10~15年頃)

1. 著名作曲家・歌手の数々
 このころになるとレコードは広く一般にも浸透していきました。肖像写真の入った人気歌手の歌詞カードで壁面を構成します。
2. レコード会社の競合
 レコード会社大手5社のレコードジャケットや、宣伝に使われたのぼり旗などを展示します。
3. 検閲について
 昭和9年からレコードに対しても検閲が始まりました。発禁となった『忘れちゃいやョ』のレコードと、歌詞が改訂されて発売された『月が鏡であったなら』の歌詞カードなどを展示します。
4.「国民歌謡」の誕生
 検閲などの取締りが強化される一方、健全な歌の普及を目指し、昭和11年6月から日本放送協会により「国民歌謡」の放送が始まりました。ここではレコードとして発売された『椰子の実』『愛国の花』など代表曲のレコード、楽譜を展示します。
5. 国策に沿った懸賞曲の数々
 新聞社などにより時局にあった懸賞曲の公募が相次ぎました。ここでは、いち早く昭和12年に内閣情報部が公募し発表された『愛国行進曲』のレコードを初めとして、戦中に盛んに募集された 各種懸賞曲に関連した資料などを展示します。
6. 歌手の芸名改名
 時局にそぐわないとして芸名を改名させられた歌手(ディック・ミネ→三根耕一など)の改名前後の レコードなどを展示いたします。

●人気歌手の歌詞カード 各種
前列右より東海林太郎、李香蘭、ミス・コロムビア、上原敏
後列右より高峰三枝子、美ち奴、淡谷のり子、田端義夫、楠木繁夫

●『愛国行進曲』レコード
内閣情報部が著作権使用料なしで各社にレコード製作を許可したために、
十数社のレコード会社から発売された。

(3)戦中(昭和16~20年頃)

1. 子供向け戦時歌謡の数々
 童謡の世界においても戦争とは無縁ではいられませんでした。ここでは「軍国調」の子供向けレコードなどを紹介します。
2. レコード会社の改称
 レコード会社の社名も、「敵性語」追放の対象とされました(キングレコード→富士音盤など)。改称後のレコードジャケットを展示します。
3. 敵性レコード追放
 昭和18年1月に内務省と情報局により、ジャズなどの英米音楽の演奏禁止曲が発表され、レコードも回収されました。ここでは当時の雑誌記事や追放盤となったレコードを展示します。
4. レコードと機材の製造制限
 レコードの材料には、輸入品の天然樹脂が用いられていたために、輸入の減少に伴い、材料不足を補うため代用素材のレコードも生産されるようになりました。ここでは品質の低下したレコードを展示します。

〈エピソード〉

戦中・戦後に心の支えとして聞き、歌われた歌

小学校の演芸会パンフレット、疎開先のガリ版新聞、手記などにより、つらく厳しい時代にあって心の支えとなった歌に関連したエピソードを紹介します。

●代用素材のレコード:このレコードは材料の品質低下のため、ゆがんだ形をしている。

(4)戦後(昭和20年~)

1. 歌うことが制限された歌
 終戦により、国民学校(当時の小学校)の音楽で習う歌も、歌うことが一部制限されました。「墨塗り」された音楽教科書を展示します。
2. 歌詞が変更された童謡
 昭和12年に発表された『兵隊さんの汽車』は「兵隊さんを乗せて」という歌詞が「僕等を乗せて」というように、歌詞の一部が変更され『汽車ポッポ』として広く歌い継がれています。歌詞が変更された曲の変更前後のレコード・歌詞カードなどを紹介します。
3. 戦後のスター
 美空ひばりを初めとした戦後スターに関連する資料で構成します。代表曲のレコードや、出演映画ポスター、写真入り歌詞カードを展示します。
4. アメリカ文化の流入
 占領政策の一環として、歌舞伎・浪曲・講談などが制限を受ける一方で、戦争中禁止されていたジャズや軽音楽は一転して流行の最先端に躍り出ました。日本人歌手により歌われた外国の曲などを紹介します。

(5)SPレコード・LP盤・CD

 昭和20年代後半のLPレコードの登場により、SPレコードは姿を消していきます。しかし、昭和50年代後半にCDが発売されると、またたく間にレコードに取って代わります。ここではベートーベンの交響曲第9番(約75分)を例に取り、それぞれの録音可能時間の変化を比較します。

灰田勝彦の戦中・戦後

 昭和11年デビューした歌手・灰田勝彦の戦中・戦後の活動をたどります。代表曲のレコード・歌詞カードなどに加え、本人が使用した出演映画台本や自筆楽譜、舞台衣裳も展示します。

*会場では毎日資料映像『汽車ポッポの謎』(約8分、制作・日本テレビ、平成12年5月29日放映)『童謡が消えた時代』(約12分、制作・名古屋テレビ、平成12年8月19日放映)を放映しています。

前沢コレクション
昭和館では、平成11年にレコード収集で著名な音楽評論家・前沢健哉氏のコレクションからSPレコード35,000枚を寄託していいただきました。内容は、クラシック、歌曲、流行歌、童謡等の他、政治家や文士の演説等が多数コレクションされています。これは、前沢氏が音楽としてのレコードばかりではなく、「音響資料」としてのレコードの価値を認識してコレクションしたからであり、歴史資料として類を見ないコレクションになっています。

お問い合わせ

〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-1 昭和館総務部
TEL.03-3222-2577

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