昭和館

特別企画展

終戦65周年記念 銃後の人々と、その戦後 ~出征遺家族の資料を中心として~

開催主旨

 このたび昭和館では、終戦65周年「銃後の人々と、その戦後~出征遺家族の資料を中心として~」と題し、平成22年7月31日(土)~8月29日(日)にかけて、特別企画展を開催することとなりました。
 出征により家族と離ればなれになった人々は、戦地と銃後に身を置きながらもお互いを思い、祖国の勝利を信じて戦いました。そのようななかにあって、不幸にも戦死した兵士の遺家族はもとより、出征した者のいる家族に対しても、国による援護の他、職場や学校、近所づきあいに至るまで様々な助け合いが行われていました。
 昭和20年8月15日、敗戦により国民の暮らしは一変します。中でも頼るべき存在を失った戦没者遺族の生活は辛苦を極めました。自分たちの暮らしは自分たちで切り開くしかない厳しい日々が続きましたが、人々は新しい時代に向けて一生懸命に生き、それがいち早い戦後の復興へと続いていったのです。
 終戦65周年を記念して開催する本展では、戦中・戦後を生きた人々の証言とともに、当館が新たに収集した出征遺家族に関連する資料を多数展示いたします。 

展示構成

I 出征の風景

 昭和12年(1937)、日中戦争の勃発により、多くの男たちが軍に召集され、しかも短期間で入隊の準備をしなければならなかった。彼らのために、家族をはじめ、近隣の人々、会社や婦人会、在郷軍人会などによって、千人針や日の丸寄せ書き、奉公袋などが用意され、壮行会として見送られたり、家族との別れの風景が見られた。

II 銃後の助け合い

 戦時中、出征した者のいる家族には、制度として助け合いの手がさしのべられた。隣組、婦人会などの地域の助け合いから、会社や学校などでも配慮されていた。戦地で亡くなった戦没者の遺家族に対してはさらなる援護政策、助け合いが行われた。

  1. 公的な援護政策
  2. さまざまな助け合い

III それぞれの帰還

 残された家族にとって、出征した人々の無事と活躍を祈り、毎日を過ごす日々が続くなか、ニュースや新聞で、戦況を知り、戦地とのやりとりは手紙だけであった。そのようななか、無事に帰ってくる者もいれば、戦死公報というかたちで家族の死を知らされる者もいた。戦没者は、家族による葬儀のみならず、様々なかたちでの葬儀が執り行われた。

  1. 戦地とのやりとり
  2. 生還した兵士たち
  3. 無言の帰還

IV 戦後混乱期の家族の労苦

 戦争が終わり、それまでの銃後の暮らしから日常生活へと戻った。しかし、生活の面では食糧難等、むしろ戦時中以上に混乱が起きていた。そのようななか、戦時中は、周囲の援助を受けていた出征遺家族であったが、戦後は戦没者遺族に対する尊敬の念も薄れ、さらに戦没者に対する恩給は停止され、遺族たちの生活は困窮を極めた。

  1. 家族の安否
  2. 戦後混乱期の暮らし
  3. 遺族の労苦

V 最期の地への想い

 昭和25年(1950)頃からは、いわゆる朝鮮特需による日本経済の急速な復興により、国民の生活もやっと安定しはじめた。そして27年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効され、独立国として遺骨収集などの戦後処理が進み始めた。国による慰霊事業も盛んになり、現在でも遺児・遺族たちによる慰霊の旅は続いている。また、生き残った男たちは、亡くなった戦友を訪ねて戦跡を訪ねている。

イベント

(1)ミニ講演会

(1) 戦中・戦後の体験を伝える会
 会期中に今回の特別企画展のテーマにそった内容、「戦死の知らせを受けた思い出」など

話者3名
日時平成22年8月8日(日)14:00~16:00
会場昭和館1階ニュース・シアター会場

2、展示解説

日時平成22年8月7日(土)・21日(土) 14:00から45分程度
会場昭和館3階特別企画展会場
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